2006年 8月 08日

ありがとうございます

投稿者 by REN at 17:40 / カテゴリ: / 170 コメント / 0 TrackBack


7月末、いよいよ入籍いたしました。
遅くなりましたがご報告します☆

このたびは、結婚式も挙げず、入籍だけでしたので
新居にうつるわけでもなく、ドレスを着るわけでもなく・・・
いつもの生活と何も変わらない日々の中で
ポツンと区役所へ行って籍を入れたという感じでした。

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しかし、嬉しかったことは
入籍という事実よりも、
アタシを支えてくれていた周りの人々に
たくさんたくさん祝福の言葉をもらったことです!!

本当にありがとうございました。。。

とても新鮮な気持ちで、幸せにならねば!!と
心新たに「頑張るぞー!」と思えました。

遅くて地味な結婚ではありますが、
ゴールだとかスタートだとか勝ちとか負けとかじゃなく
ただの「過程」でもあり、大切な「けじめ」でもあり・・・・
それなりに自分らしい人生の岐路だと感じています。

ま、これからも変わらず、ひょうひょうと明るく前向きに
いろんな方々といろんなお話をしたり聞いたり
いろんなことにチャレンジしたり悩んだりしながら、
楽しく「自分らしく死ぬまで生きる」ことをここに誓います!

ということで。
意味わからなくなりましたが、ご報告まで(苦笑)

2005年 9月 06日

NameP

投稿者 by at 16:53 / カテゴリ: / 188 コメント / 0 TrackBack

なんて登場させるのが遅いんだ!と
責められても仕方ないですが、
NamePという私にとって大切な妹について
遅ればせながらペンを取ります。(実際はペン持ってないけど)

NamePとは学年で2つ違いですが、
実質1年半しか年齢の違わない姉妹です。

そのせいか、そのせいじゃないのか、
小さいときから背もあまり変わらず(私が小さく、NamePが大きかった)
いつもお揃いの服を着て、いつも一緒に遊び、
いつも一番近くにいて、とても仲良く育ちました。

もちろん、今でも仲が良いです。

でもそれは、姉妹としてではなく、親友に近いものと思っています。
(普通の姉妹も、こんなもんなのかもしれないけど~)

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当然ながら、同じ親を持ち、同じ環境で育ち、
同じ価値観を持って生きてきました。

14歳下(NamePにとっては12歳下)の妹が生まれるまでは
二人姉妹でしたから、小学校時代といえば
二段ベッドの上と下で毎晩ずーっと今日あったことや
最近の悩みごとやらを話していたように思います。
よく夜中までキャッキャッと喋り続けていたので
母に半ギレで「早く寝なさい!」と怒られていましたが★

私は家でNamePと遊ぶのが好きだったので
「友達と遊ぶ」という感覚はあまりなかったです。
家に帰ればNamePがいるからそれで良かったし、
どこかに遊びに行くときはNamePも一緒でした。

小学4年ぐらいのときに、NamePとコープさんへおつかいに行った帰り、
道路を走る車に注意しながら手をつないで歩いているときに
「私が妹を守らなければ!」という妙な使命感におそわれたのを
とてもよく覚えています。

それまでは「妹」という感覚はなかった気がします。
まぁ背丈も同じぐらいだし、NamePのほうが明らかに
小さいときからしっかりしていたので
どちらかというと私が頼っている関係でしたし(苦笑)
「同士」というカンジで「一緒にいるべき人」でした。

ただ、このときが一番「自分より小さい守るべきもの」ということを
意識できる年齢だったというだけのことだと思います。
(小4と小2という差が)
それからは少し、自分の責任というもの、面倒を見るということを
理解できるようになった気がします。

とはいえ、何かあると「NamePに話す・聞く」という習慣は
まったく変わらず、「妹」というよりは「親友」であり「同士」であり続け、
でも「守らなくてはいけない妹」という感覚は
そのとき以来、今も変わらずあり続けています。

高校を過ぎたあたりからは、さすがに同じ環境ではなくなり
暮らす場所や学校も変わり、一緒にいる時間も減っていきました。

そして、たぶん、価値観もずいぶん違うものになったと思います。

生き様も違うものになっていると思います。

けれど、同じところで生まれ育ち、一緒にお風呂に入り、
一緒に本を読んだり勉強したりTVを見たり、時々ケンカをしたり、
いつの間にか仲直りをしたり、悩みを相談しあったり、
一緒に夫婦喧嘩を固唾を飲んで見守ってハラハラしたり、
小さい妹が生まれて育つのを見守ってドキドキしたり。

これだけは私達が同じ目線で共有してきたことで
決して消えてなくならない記憶で、とても大切なものだから。
共有した時間と記憶があるからこそ、価値観が変わっても生き様が違っても
わかりあえる同士で有り続けられると信じています。

そして有り難いことに、まったく違うモノの考え方をする人がいても
「違うものだ」と拒否せずに、それをそのまま受け入れるという考え方は
NamePがいるからこそ、私の中に生まれたのだと思います。

私とNamePは違う人間だけど、同士であり親友で、
理解しようと努力しあえるからです。
そして、これは「姉妹だから」でも「同士だから」でもなく、
他の人であっても同じだと思えるようになりました。

理解しあおうと努力をすること、違っても共存できるということ
これは社会に生きる上でとても大切なことで・・・

NamePのおかげです。

そして、NamePが幸せに生きることは
「もう一人の違う私」が幸せになることと同じ、と思っています。

この感覚は逆に、妹であるNamePだけではなく
私の友達に対しても同じように考えられるようになりました。

友達みんなを「違う価値観を持った私」と思えば、
違いを受け止められ、幸せになって良かった、
何かあったときは力になれることはないか、と考えられるからです。

ここまで書いて、表現の仕方がまずいために、
なんか頭がおかしくなってる人みたいに
思われそうな気がしてきたので止めますが。。。(苦笑)

とにかく、
NamePは私にとって、かけがえのない妹である、
NamePのおかげで今の自分がある、ということを
やっとこ日記に書くことができてホッとしました。

うーん、ちゃんと伝わったでしょうか?
NamePと私の「姉妹感」(笑)
って、私の一方的な感覚だったりしてー!(ひえ~)

2005年 8月 22日

RちゃんとMさん

投稿者 by at 16:06 / カテゴリ: / 200 コメント / 0 TrackBack

昨日は片道2時間半のドライブをして
Rちゃんのおうちへ遊びに行ってきました♪

とても楽しかったです☆
往復5時間、滞在3時間半という日帰りの旅でしたが
なかなかに充実していました。
もっとゆっくり遊びにいけるように
今度はゆとりのある計画をせねば・・・と反省です(苦笑)

Rちゃんは、高校のときの同級生で、
気がつけば17年の付き合いになるのでしょうか・・・
うーん、そう考えると長いですね~★
今、計算していてズッコケそうになりました。(←死語)

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Rちゃんは昨年結婚し、すぐ妊娠→今年春に出産、
同じく春には購入した新居への引越し、と
独身女が夢見る「幸せへの階段」を
この1年ちょっとで一気に駆け上がってみせたスゴイ友達です。

夢は努力すれば現実になるのだ!というのは
実際に目の当たりにすると信じられるものです(笑)

Rちゃんの場合は、妊娠してから体調を崩し長期入院をしたり
産休を取るまでは学校の先生のお仕事をしてて忙しかったり
臨月間近に引越しの準備をしたり、と
いろいろ大変なこともあったと思いますので、
何もかもがのらりくらりとしているうちに手に入って幸せ~♪
というわけじゃないでしょうし、
幸せのステップは一辺倒で語れるものではないでしょう。

それでも、激変の1年ちょっとを乗り切り、
子育てに頑張っているRちゃんを見ると
やっぱり幸せなのだな~、良かったなぁと思いました。

幸せの価値観は人それぞれだけど、
彼女は彼女なりに精一杯の努力をして
目指した今の生活を手に入れたからこそ素晴らしいのだし、
だからこそ「幸せそう」と周りも素直に感じます。

本人が幸せかどうか、が一番重要だから。
周りにどんなに羨ましく思われていようと、
本人が幸せを感じていなければ意味がないものね。。。

ところで、Rちゃんのおうちへは
同じく高校の同級生のMさんと一緒に行きました。

Mさんは、独身で実家に暮らしており、
Rちゃんの激動の日々と同時期の「一年ちょっと」を
私と同じく「何も変わらず」過ごしていたそうです。

RちゃんやMさんと知り合ってから17年・・・
Rちゃんが過ごした激変の1年ちょっと・・・
その年月の長さと短さにそれぞれ驚くけれど、
同じ時間でも過ごし方次第では
変わろうと思えばこんなに変われる!
変わらないでいようと思えば変わらずにいられる!
その選択は自由である、
ということを改めて考えされられた旅でした☆

昨日は長いドライブをMさんのおかげで楽しく過ごせたし、
Rちゃんと3人でお城を見に行き、遠足のようでとても楽しかったです。
もちろん、Rちゃんの愛息子のNくん、優しい旦那様とも会えて
大変に充実した日曜日でした。

いつか、私も激動の日々を乗り越え、Rちゃんのように
幸せそう~♪と皆に感じさせることができるよう
今後も頑張ってゆきたいと思います。

応援よろしくお願いします。(←?)

2005年 8月 20日

同級生

投稿者 by at 15:39 / カテゴリ: / 363 コメント / 0 TrackBack


遅くなりましたが、ご報告。。。
お盆のBBQ同窓会は、大気の不安定ぶりから
なんと中止になってしまいました★

夕方5時ぐらいまではお天気がもっていたので
「できたかも?!」と後悔しかけましたが、
6時過ぎには有り得ないほどの雷雨になり
中止も正解だったか、と納得の結果です。

しかし、参加予定者が少なかったとはいえ
楽しみにしていたので何だか気が抜けたカンジでした。。。

ちなみに。

このBBQ同窓会の企画から派生して、実は
小学校の学年同窓会の開催話が持ち上がり・・・
すっかりこの一ヶ月はそちらのほうにチカラが入っていまして、
日記おろそかになって申し訳ありませんでした★

BBQ同窓会は残念ながら雨天中止になってしまったけれど、
こちらの同窓会は何としても成功させたいと頑張っております♪

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小学校を卒業してから20年ですし、
人数も多くなるので、口コミ連絡だけでは限界があるため
往復はがきの郵送もしようということで始動しました。

やはり前回の同窓会連絡のときと同様、
いきなりハガキを送ると「同窓会詐欺では?!」と警戒されることや、
ほとんどがご実家への郵送になるため、
お願いと了承を頂く意味を込めて
まずは電話連絡を手分けしておこなうことになりました。

電話してわかったのは、繋がらないおうち(引っ越している)が
アルバムの名簿の中で3分の1近くあるという現実でした★

なかなか地道な作業でしたが、
NちゃんやKちゃん、男子担当のMくんなど
幹事側の皆さんの努力や協力のおかげで
ようやく形になってきたところです。

皆さん、家庭も仕事も子どももある中、
本当に頑張ってくれたと、もうそれだけで胸いっぱいです。

もちろん、幹事側だけでなく、
気持ちよく参加の意思を伝えてくれた同級生のみんな、
残念だけれど欠席すると連絡をくれたみんな・・・

10数年も会っていないのに
ついこの前まで一緒のクラスだったかのように
親しく連絡をもらえたり、「幹事ご苦労様です」
「とても楽しみしています」と言ってもらえると、
本当に不安や疲れが吹っ飛びます。

子どもの笑顔を見たら、疲れが吹っ飛ぶ!というのと
同じような類ではないか?と思います(笑)

よく考えたら、私なんかが幹事をしているのも
おかしなカンジですが(シャレにしては苦しいゾ!)
こうなったら、絶対に集まってくれた同級生のみんなには
「楽しい会だったね♪」と思ってもらえるようにしたいと
やりがいというか、使命感というか、何かワカラナイけれど
義務感とか責任感というような重くのしかかるものではなく、
明るく爽やかで熱いものが胸にある、というカンジです。

あー全然わかりづらいですね。。。

とにかく、残り一ヶ月、
久しぶりのみんなと「久しぶりと思えない!」と
笑って会えるのを楽しみに、
たいしたことはできないけれど頑張りたいと思います☆

ということで。

BBQが雨天中止だけど会ってくれたNちゃんや
十数年ぶりに再会したTちゃんのように、
「今でも友達!いつまでも友達!」という
あの不思議な感覚を求めて突っ走ります!

同級生のみんなに思いを馳せてみるのも
なかなかに面白いので、やってみる価値アリです(笑)

2005年 7月 12日

Dちゃん

投稿者 by at 16:01 / カテゴリ: / 193 コメント / 0 TrackBack

Dちゃん、というのは、会社の整備士のおっちゃんです。

60歳前のオジサマをつかまえて「Dちゃん」というのも
どうかと思いますが、入社当時から
奥様がDちゃんと呼んでいたので、真似して呼んでいたら
そのまま10年間、「Dちゃん」のままです。

傍からみると、『えぇっ?!なんでDちゃん呼ばわり?!』でしょうが、
当の本人は、その親しみを込めた愛称を喜んでいるようだったので
たしなめられることもないまま現在に至っております。

何を喋っているんだか、書いた字も何て読むんだかわからないような
頭の先からつなぎの先(?)まで油まみれのおっちゃんですが、
そのどうしようもないカンジが何とも憎めない人間なのです。

私にとっては、気の置けないお父さんのような存在ですね。。。

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私が入社当時は今のように仕事もできませんでしたので
まずは使えるところに使う、というような働き方をしていて、
わりと車の運転が上手かったことから納車や引取りの手伝い、
車検受けの手伝い、が多かったです。

ですから最初は、奥様の事務の手伝いか、
Dちゃんのもとで車検受けの手伝い、が主な仕事でした。

何もわからない私に、なんやそんなこともワカランのかぁ~?と
妙な訛りで呆れながらも、とても丁寧とは言えないけれど
わかりやすい指導でアレコレと教えてくれ、とても有難かったです。

長年見てきて言えるのは、基本的にDちゃんは人なつっこいです。
すぐ誰でも信用するし、誰に対しても同じ態度です。
仲の良い人にはあれこれたくさんお喋りするし、
悪態をついてみたり愚痴をこぼしてみたり、
かと思うと猫なで声を出してお願いをしたり・・・なかなかすごいキャラです。

でも、このキャラが何とも憎めません。

行政書士のKさんと飲みに行って酔っぱらって話をしていたら、
「行政書士の『士』は武士の『士』だぞ!」とふんぞり返られ
「整備士の『士』も武士の『士』じゃ」とポツリと言い返したり、
ホンダのスポーツカーをノリノリで直しているのを見てると
「俺が最も得意とする車だぞ」と直訳した英語のような喋り方をしたり、
何かしらミスをして私も巻き込まれてバタバタしてるときに
「もう~!だいたいDちゃんが☆〇#%★・・・」と私が怒っていたら
「すすすすまん、、、みなまで言うな」と泣きそうな顔で言ったり。

もう~(苦笑)と肩の力が抜けて許せてしまうキャラなのです。

その分、かなり図々しいところや甘えたところもありますが、
周りに許されてきたからこその性格であると思うし、
本人に悪意がないのが丸わかりで、多少キャラが濃いけれど悪い人じゃないし、
こんなお父さんなら家族も呆れながらも大事にしてくれるだろうな、と思います。

お父さんも人間だし、完璧である必要などないのだなぁ、と
Dちゃんを見ているとつくづく感じます(笑)

Dちゃんには3人のお子様がおり、一番上の娘さんが
私より少し年齢が下なだけということもあり、
仕事のできない私を最初から可愛がってくれました。

家族の話もよくしてくれて、
奥さんがガンで早くに亡くなってからは男手一つで3人の子供を育て、
一人娘だった奥さんのお母さんと一緒に生活しながら
今も「金ない、金ない」(←口癖)と言いながら頑張っています。

看護師だった自慢の一番上の娘さんが2年ほど前に結婚し、
昨年お孫さんができてからは、常に孫の話で持ちきりの「祖父バカ」です。

そんなDちゃんが何ともわかりやすくて私は好きです☆

一番下の男の子は中学の時から優秀で(10年前は中学1年でした)
中学の卒業式のときに書いた「家族への手紙」というのを読ませてもらったときは
感動して泣いてしまいました。
(完全に他人事ですが、家族への愛に満ちたとても良い手紙でした)

その子もこの春には大学を卒業し、しっかり学校の先生となり、
Dちゃんの自慢がまた増えた形です。

二番目の男の子は、悪ぶってみたりしてましたが
年頃の田舎の子なら普通といえば普通です。
Dちゃんは「あいつはどうしとるんかワカラン」などとボヤいてましたが、
昨年、彼が居眠り運転でトラックと正面衝突したときは
死ぬんじゃないかと必死で病院にかけつけ、大変でした。
内臓破裂で一時は危険な状態でしたが、手術も無事成功し、
今は元気にしているそうです。

彼もさすがにDちゃんの存在に感謝して、
これからは自分と周りを大切に生きてくれるのでは、と思います。

Dちゃん自身も、母性本能をくすぐる系だからか
おばちゃんにはよくモテるようですが(昔の写真を見ると結構男前です)
せっかくできた若い彼女があまりにもワガママ言うので
「女はオマエだけちゃうんやぞ!」と有り得ない啖呵を切って
(→「オマエ」だけだったと思われます)
捨てられそうになって落ち込んでいたり・・・

目が離せない生き様で、どうにも気になってしまいます(苦笑)

そんなDちゃんを含め、会社で働いてくれている
一生懸命なお父さん達の平凡な日々に支えられて、
今の私の毎日があるのです。

どうか、お父さん達。
完全無欠じゃなくていいから
弱音も吐くときは吐き、強がりたいときは強がってみせ、
自分を表現しながら愛され上手でいて下さい。
そして、家族やバックグラウンドに支えられた自分に自信を持って
矢面に立ったり影になったり柱になったりしつつ、
世の中を支えていって下さいね。

いつでも応援しています。

2005年 7月 11日

Kちゃん

投稿者 by at 16:54 / カテゴリ: / 137 コメント / 0 TrackBack

今日は、Kちゃんの息子の2歳のお誕生日です。
おめでとう~!!

Kちゃんは、私の中学の時の部活動で一緒だった1年後輩です。
中学のときはとても仲が良かった(←つもり)のですが、
さすがに卒業してからは生活も学校も違ったため
自然と会わなくなっていたのですが・・・

私が21歳のときに、街でバッタリ再会し、
それから今まで、かなりのハードコアな思い出を共有する仲であります。
(ウソ。とっても楽しい思い出がほとんどです)

とにかく、私が『心友』と勝手に思っている人の中の主要な一人です。

そんな彼女が鼻からスイカを出す思いで産んだ子どもが
もう2歳・・・年月の経つのは本当に早いものですね。。。

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Kちゃんとは、再会してからというもの、
ほとんどの週末を一緒に過ごしていたのではないか?!というぐらい
蜜な間柄となりました。

Kちゃんが結婚してから、いや、旦那様と出会ってからは
なかなか会う機会も激減してしまったけれど、
はっきり言って、私がKちゃんの「昔の彼氏」と言っても過言でないほど
どこに行くときも必ず一緒♪というカンジでしたね~(懐かしいなぁ)

習慣というのは恐ろしいもので、再会してからしばらくは
「先輩と後輩」という雰囲気だったよーな気もしますが、
逢瀬を重ねる度に(←×表現が行き過ぎてる?)
会わないと落ち着かない、毎日電話する、っていう異常ぶりに。(笑)

今思うと何だったのでしょう?という間柄ですが、
まぁ若かったということです。(要約しすぎ?!)

私はKちゃんが好きだったんでしょうね。気が合うというか、
気兼ねせずに何でも話せるというか、妹みたいなものです。
(妹は二人いるし、ほかにも妹分はおりますが)

Kちゃんが当時どう思っていたのか、わかりません。
まったくもう、気まぐれな先輩に付き合わされてさんざんだわーぐらいに
思っていたかもしれないし、どうやったら怒らせずにお誘いを断れるか?と
悩んでいたかもしれない。(あまり考えたくないが)

でも、楽しんでくれていたと思います。
私の友達はほとんど全て一緒に遊んだことがあるので知っているし、
いろんな出会いや仲間、いろんな遊び、別れも共有してきたし、
しょーもないことを喋りながらファミレスでお茶したりドライブしたりを
延々と8年ぐらい続けていたのですから。

たぶん、何度も愛想尽かされるほどひどいことをしたり言ったりも
あったと思うのに、よく縁を切らずに付き合い続けてくれたものだ・・・と
今思い出しても感心するし、有難く思います。

私の遅い青春を語るのにKちゃんははずせないのです。

そんなKちゃんに彼氏をつくる!というのが長年の夢(目標)であり、
それを達成し、今、Kちゃんの愛息子が2歳になるという現実こそが
まったくもって夢のようです。

Kちゃんと旦那様が出会った瞬間に立ち会うことができたし、
おかげさまで結婚式でも親族一同に感謝され光栄に思うとともに、
これは何としてでも幸せになってもらわねば!と
微妙にプレッシャーを感じるほどの緊張した喜びもありました。

でも、それもこれもKちゃん自身が切り開いた運命であり、
Kちゃんがすべてに対して頑張ってきた成果なのですから、
私の存在など、やはりちっぽけなものです。

今は子離れした親の気持ちのようになって(←妹みたいと言ってたくせに)
Kちゃんの幸せな生活を暖かく見守りたいと思っています。

小うるさい先輩がとやかく口を出さなくなって、
今はさぞかし平和な毎日でしょう。(苦笑)

で、実際のとこ、どうだったのよ?ってなヤボなことは聞かない主義なので、
今日はとりあえず、息子さんの2歳の誕生日のお祝いと、
昨日がKちゃんの誕生日でしたのでWのお祝いをしに
久しぶりにKちゃんのおうちへ寄ってから帰りたいと思います。

では、思い出話に花を咲かせすぎないよう気をつけて
いってきます!

2005年 7月 06日

MちゃんとEちゃん

投稿者 by at 16:16 / カテゴリ: / 102 コメント / 0 TrackBack

先日、婦人科でガン検診をしてきました。

30歳を過ぎたら検診には行ったほうがいいと
母からはよく言われていましたが、何しろ健康体のため、
きっかけをつかめずにいたところ、Mちゃんに誘われ
Eちゃんと3人揃って「婦人科検診ツアー」をすることになったのでした。

婦人科というと「一人で行くもの」という印象ですが
久しぶりに会ったこともあり、3人で声をひそめながらも
ひたすらお喋りしながら待ち時間を過ごし、とても楽しかったです☆

そのうち、年金生活をする頃には
耳鼻科などで待ち合わせをして井戸端会議でもやりそうで
我ながら末恐ろしいです。。。

まぁ、Mちゃんはニュージーランドで生活しているので
その会議には参加することもあるかどうか微妙ですが。
(・・・会議はやるという前提でしょうか?)

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ところで、MちゃんとEちゃんは私の6歳下で
一緒にどこかへ出かけると大抵「どういう関係?」と聞かれます。
(明らかに同い年には見えないですしね)

説明して一度で理解してくれた人はほとんどいませんが、説明すると、
私の大学時代の友達(以下Jちゃん)の旦那様の会社のアウトドア仲間のリーダーが
Eちゃんのお父さんで、EちゃんとMちゃんとは中学時代の水泳部以来の友達です。

要するに、私とMちゃんは大変縁遠いことになり、
一言でいうなら「友達です」としか言いようがない関係です(苦笑)

知り合ったきっかけは、数年前にJちゃんに誘われて彼女の旦那様の仲間と
みんなでキャンプか何かに行ったときに、Eちゃんのお父さんに
大変良くしてもらったからです。

リーダー的存在のEちゃんのお父さんは、大変おおらかで面白い人で、
完全に部外者であった私を快く受け入れてくれて、いろんなお話をしてくれました。
たまたま私が初めて参加させてもらったときにはEちゃんが来ていなくて、
「いつもは娘が一緒に来るんだけどね~♪」とEちゃんの話や
奥さんの話を嬉しそうにしてくれたのを覚えています。

とっても家族を大事にしているのだなぁというのが伝わってきて、
「素敵なお父さんである」ということは、誰からも好かれる要素だなと思いました。

最初がそれだったので、私はJちゃんに誘われてこの仲間と
アウトドアするのが大変楽しみになり、車を買い替えてしまったりして(←四駆に)
それから何度か皆と一緒させてもらいました。

Eちゃんは、私が二度目の参加の時には来ていて、
泊まりがけで行ったキャンプで夕方から大雨になり、川のそばのテントで
Eちゃんのお父さんとEちゃんと3人で一緒に横になって、
「夜中のうちに増水してテントごと流されやしないか?!」と笑いながら
テントにたたきつける雨と川の流れの轟音の中、
Eちゃんのお父さんとお母さんが出会った頃の話などを聞きだし、
「そんな話、初めて聞いた~」とEちゃんが苦笑していたのが
最初の夜だったと思います。

その後、たぶんまもなく、Eちゃんが私と会うときにMちゃんを連れてきて、
Mちゃんがなぜか私を気に入ってくれたので
生活時間帯の合うMちゃんと私はよく遊ぶようになりました。

こうして、まったく年の離れた縁の薄いはずの彼女たちに仲良くしてもらい、
気がつけば去年のMちゃんの結婚パーティにも呼んでもらったり
(Eちゃんのそばで幹事らしき手伝いもさせて頂くことができました)
Mちゃんが結婚したJ.D(ニュージーランド人)にも何度か会うことがあったり、
今はJ.Dのお国へ行ってしまったMちゃんともかなりの頻度で
メールをする仲です。

今回はMちゃんの帰国のタイミングを見て、久しぶりに3人で会い、
しかも揃って婦人科へ行くことができて、また愉快な思い出ができました。

Eちゃんのお父さんは急病で昨年亡くなってしまったけれど、
お父さんのおかげで知り合ったEちゃんともMちゃんともずっと友達でいたいと思うし、
素敵なお父さんがいたことは誰もが忘れない事実です。

私が好きな言葉の一つに『一期一会』があります。

でも、「知り合った瞬間」に何かが変わるのではなく、
続けることで初めて「出会った瞬間」が意識できるのではと思います。

ちなみに、今回検診してもらった婦人科の先生は、
Mちゃんが某Sホテルのスポーツジムで在勤中に知り合ったジムの会員様で
紹介をいう形で検診に初めて来たわけですが・・・
なかなか面白そうな豪快なお姉さま(?おいくつなんでしょう?)です。

今週末は検査結果を聞きに行かなくては。
彼女にまた会うのを楽しみにしたいです(笑)

2005年 6月 28日

Nちゃん

投稿者 by at 13:22 / カテゴリ: / 174 コメント / 0 TrackBack


今また、お盆休みに同窓会をしようと企んでいます。

去年の暮れに「同窓会をやりたいなぁ・・・」と思い立ち、
今年の初めには、中学の時の部活のメンバーで同窓会を開いたのですが。

何しろ、12年ぶりに集まるということで(20歳のとき以来!)
まず「皆どこで何してるの?!」ってところから始まりました。

その同窓会を一緒に企画し、連絡を取ったり案内状を作ったりと
頑張ってくれたのが、Nちゃんです。

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「中学の部活の同年代だけ」というのは、私達の学年だけ
人数が少なく「全員で12人」だったので簡単に考えておりましたが、
それでも連絡を取るのには手間がかかりました。

卒業アルバムや昔の年賀状を引っ張り出し、実家がまだ同じ人には
親御さんから現在の連絡先を教えてもらったりして
(一番マイッタのは、その頃ちょうど同窓会詐欺が横行していたため、
「同窓会をしたいので連絡先を教えて欲しい」と言うとものすごい警戒されたこと)
何とか全員と連絡を取り、1月の同窓会を無事開催できたのも、
Nちゃんの協力があってこそ!でした。

ちなみに、このNちゃんと去年の夏に再会できたのは
NamePが去年、中学の同窓会(こちらは学年の!大規模~!!)で
連絡を取り合っているときに、Nちゃんの連絡先を知ったので
私に教えてくれたことがきっかけです。

ですから、NamePにも感謝感謝です(笑)

おかげさまで、Nちゃんとはかなりの頻度で携帯メールをする仲になり、
今回懲りずに「第二回同窓会の企画!」となったわけです。

今回は、全員の連絡先もわかっているので、
日時さえ決めてしまえばまた集まれるか?というと、
大のオトナ達が簡単に集まれるわけがない、というのが現実です。

遠くにいる友達が実家に戻っている可能性に賭けて
前回来れなかった人も参加できる会にしたいと、お盆を選んだのですが、
逆にサービス業に携わる人達には最も忙しい時期でもあり・・・

やはり「たった12人」ですが全員は無理そうです。(欲深すぎたか)

ちなみに、Nちゃんと今盛り上がっている企画は
「地元でバーベキュー同窓会」です(笑)

「同窓会」に「バーベキュー」を付け足すあたりで
普段からいかに私が欲深いか?がバレそうですが、
企画をする時点で盛り上がらない限り、当日盛り上がるわけがない、
という変な勢いで、「何とか実現しよう」と張り切っている今日この頃です。

Nちゃんには小学3年生になる息子さんがいるため
普通の同窓会なら連れて行きづらい、と遠慮していたので、
気を遣うことなくNちゃんに参加してもらうことが
私の何よりの願いであり、私にとっての同窓会の成功でもあるため
何とかして「バーベキュー同窓会」を実現させたい由です。

Nちゃんが一緒に参加してくれなかったら
同窓会じゃない気がするから。
うーん、なんでかわからないけど。

もちろん、同窓会に来る皆が楽しめることが一番ですが、
Nちゃんに楽しんでもらうことも、私にとっては重要ってことです。

まぁ、ただの私のワガママです、要するに(笑)

そんなカンジで、同窓会第二弾の企画を進めています。
実現不可能かもしれないけど、不可能と思えば何も始まらないので。

頑張ります!

2005年 6月 27日

M氏

投稿者 by at 14:58 / カテゴリ: / 113 コメント / 0 TrackBack

昨日、美容室へ行ってきました。
黒髪にしたかったからです。

べつに、地毛がブロンドというわけではなく、今時の人並みに
見た目重たくならないよう、お洒落程度に染めていたんですが、
この頃、「これからは黒髪でしょ!」という変な勢いがついていたため
思いっきり漆黒にしてみました。

ちょっとしたダースベイダーです。
鏡を見る度にビビります。(見慣れるまでの辛抱)

「ホントにホントに真っ黒でいいんやね?」(にやり)と染めてくれたのは
ここ3年ほど時々私の髪を切ってもらっている、M氏です。

「時々」というのは、私が20歳のときから髪を切ってもらっている
Gさんの美容室にも通っているからです。
Gさんが4年前に「独立する!」と自分の店を出したときに
「若いのにエライ!!」と感動し、
「私、Gさんにずっとついていくから!」
と言ってしまったため、その無責任極まりない発言を嘘にしないためにも
彼女の美容室に通い続けています。

そして、M氏は私の彼のカリスマ美容師で
今の家の近くで美容室を経営しているため、
こっちも付き合い上、行かないわけにもいかなくなり、
すっかりお世話になっている次第であります。

まるで、「君を幸せにする!」と結婚宣言しておいて、
手近な都合のいい女にもイイ顔しちゃってる
尻軽男みたいなカンジになっちゃっているんですが★

「二人とも100%好きなんだ!!」とかいう
100%の意味すらわかっていない二股男よりは、
ずっと誠意を持って美容室を二股していることを
ここでお断りしておきたいと思います。。。

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今日はとりあえず、昨日お会いしたM氏についてお話します。

M氏には3歳になる愛娘がおり、最近は保育所に通っているらしく、
「お迎えに行くために黒髪にした」というぐらい可愛がっています。
(保育園に銀髪で迎えにいったら問題になったらしい)

夜、仕事が終わる頃になると携帯が鳴り、
「パパ~もうすぐお風呂だから早く帰ってきて!」と
娘からお誘いの電話が入るので、飛ぶように帰るのだ
と昨日嬉しそうに話していました。

かなり、軽い人間っぽい風体で、独身主義者だったM氏が
40歳を間近に、いつの間にかできちゃった結婚をし、
気がつけば「愛娘の電話に、遊びや付き合いそっちのけで
家に帰る、それが楽しい!」と語っている・・・

子どものチカラってすごい!(笑)

つまらない信念など吹き飛ばして
変わらぬ愛に生きる人間をまた一人増やしてくれています。

そんな熱いM氏と昨日話したのは
「親ぐらいは、親バカでいい」
「愛情を注げば、まっすぐに育ってくれるはず」
ということです。

M氏も風体が語る通り、中学ぐらいの時は相当ワルかったようで。

「14,15の時は家族なんてウザくって、怖いものがなくって、
心から分かり合える友達とか仲間がいると、
『こいつらのためなら懲役も怖くねえ!』みたいな気分になる。
けど、本当に家族に愛されて育っていたら、
やっぱり絶対にその時間を忘れていないし
その『愛された時間』が思いとどまらせてくれるんじゃないか?」

だから、俺は精一杯、子どもを愛するんだぁ!
と語ってくれました。

今は保育所にお迎えに行ったり、お風呂に一緒に入ったり、
父の日に書いてくれた「お父さんの絵」の裏に
こっそり今の気持ちをメッセージにして書いたりして、
(「大きくなったときに読んだら、お父さんに愛されて育ったんだ
って感動してくれるやろ?」←そんな自分に酔ってる?)
自分なりの愛し方を実践中のよう。

M氏なら、愛娘が中学生ぐらいになってお父さんをうっとうしがる
時期がきたとしても(←そんなの絶対ナイ!と信じて疑ってなかったが)
それを乗り越えて「愛されるお父さん」になれる気がしました。

親に愛されて育っていれば、どんなに道を踏み外すことがあっても
子どもは戻ってくれる、まっすぐに育ってくれる、
信じてくれる家族がいれば立ち直れる。。。

自分にもそんな時期があったこと、
愛された時間、信じられる人間、自分を信じてくれる家族・・・
思い出してみると、やはりそれが今の自分を作っていると感じます。

だから自分が「親」になるのは初めてでも、不安になる必要なんてない、
自分が愛されていた時間を思い出して、愛していけばいいんだな~、

そんなふうに、チカラが湧いてきた頃には
すっかり髪が黒くなっていたのでした。

2005年 6月 24日

Yちゃん

投稿者 by at 14:36 / カテゴリ: / 130 コメント / 0 TrackBack

私は、今の会社に勤め始めて10年になります。

この会社に来たことは運命だったのかもしれない、と
思うことがあります。

なぜなら、
学生最後の年、今で言う「ニート」一歩手前だった私が
「とにかく働かなくては!」という一心で
ハローワーク(就職相談所)で目に留まったこの会社にポツンと面接に来て
「明日からとりあえず来て」と社長の奥様に言われ、
帰るときに振り返ってみた『この会社』の風景が
ものすごく目に焼きついているからです。

「とりあえず」というのは、もちろん、私が
役に立つかどうかさっぱりわからないからで、
お試し期間(バイト)は一ヶ月ということでしたが。

「とりあえず明日」から、ずっと働き続けています(笑)

あの日、振り返って見上げた会社は
真四角のそっけない工場でしたが、
「あーこれから私はここで働くのだな~」と
運命的なことを考えてたよーな気がします。
(すぐにもクビになるかもしれないくせに!)

今日はそんな会社の同僚でもある
社長の娘さんについて、お話します。

彼女とも結果的には「運命的な出会い」を
したことになります☆

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今、社長の娘さん(以後Yちゃん)とは一緒に働いていますが、
私が最初ここに来たときは、まだ高校2年生でした。

学校から帰って、着替えてまた遊びに行く、
その一瞬しか会うことがなかったわけですが
「かわいいなぁ~」というのが最初の印象です。

それからYちゃんが高校→短大と学業に遊びに頑張っている間は、
ずっと奥様(Yちゃんのお母さん)と一緒に働いていました。

奥様とは、ほぼ毎日一緒にいたので、
仕事の合間には、Yちゃんの小さいときの話から
昨日はこんなことで親子喧嘩になった、だの
親の心、子知らずだ!だの
将来のことが心配だ、と愛娘であるYちゃんについて
よく話していました。

Yちゃんと私とは7歳違いでしたが、
時々一緒に遊びに行ったりもしてくれていて
お互いの友達にも会うことがあったりと、
どっちが遊んでもらってるんだか!という仲になりました。

ですから、今となっては一緒に働く同僚ですが、
社長と奥様の「娘さん」であり、「友達」でもあり、
「同僚(いや、立場的には上司かな?)」で・・・

10年も経ってみると、Yちゃんとその家族と
長い年月の記憶を共有する関係となり、
雇われ者でありながら家族同様のような
不思議でステキな関係となってきた気がします。

奥様とは実質3年弱しか一緒に働けず、
病に倒れてからはYちゃんが両親の世話をしてる姿に
若いのに偉いな~と本当に尊敬していたし、
奥様が亡くなっていろいろ大変だったけれど
社長と、長年働いてくれている、やはり家族同様の
たくさんのおっちゃん達と共に
会社で一緒に働いてくれて、有難いと思っています。

今でも、普通に「あ~こんなとき奥様ならこう言ってるな!」
という話をして「そうそう!」と笑えるのはとても楽しいし、
「亡くなった人は心の中で生きているんだ」
というありきたりな言葉さえ、素直に信じられます。

Yちゃんは、来月から旦那様の都合で東京へ行ってしまうのですが、
昨日、「荷物を整理してたら、昔の写真がたくさん出てきて
見ているときに思ったんだけど・・・」と話してくれたのは、
「大人になるってこういうことなんだ、と何となくわかってきた」
という話でした。

その出てきた昔の写真の自分を見て、
その頃の自分よりも今の自分のほうが好きだし
あの頃の自分に戻りたいとも思わない、
今の自分のほうが「いい生き方ができている!」と確信した、
というのです。

じゃあ、昔の自分と今の自分を比べて、何が変わったのか?
と聞くと、「大人の言葉を素直に聞けるようになったかな(笑)」

確かに!!それが大人になるってことかも!

こんなことが言えるYちゃんは、確かに十分いい生き方が
できていると思えるし、奥様に聞かせたいなぁと思ったり。

先人の言うことに間違いはないってことだね☆と言うと、
そう!それに気づいたことが、私のビックバンだった!!と話していました。

Yちゃんの中で昨日ビックバンが起こったこと、
それを教えてもらえる私はやっぱり幸せだなぁと思いました。

この会社に就職したこと、Yちゃんと出会ったこと、
10年の月日・・・
運命は作っていくもの、出来上がっていくものなんだと実感し、
記憶は無限に生き続けていて、ビックバンは自分の中に起こるものだと
感じた昨日なのでした。。。